創造表現学会企画 「成宮アイコさん 朗読&トークイベント」文字起こし(質疑応答)
2025年12月5日(金)に創造表現学部創作表現専攻主催で、朗読詩人の成宮アイコさんをお招きして行った朗読&トークイベントの質疑応答の文字起こしです。当日は多くの学生が参加し、質問や感想もたくさん飛び交いました。その模様をお届けいたします。
対談の文字起こしはこちらから
→「成宮アイコさん 朗読&トークイベント」文字起こし(前半)
→「成宮アイコさん 朗読&トークイベント」文字起こし(後半)

質問① 成宮さんの朗読は音楽としての側面が非常に強いと思います。私自身歌に興味があるので、この形で自分を表現しようと決めた経緯などあったらぜひともおうかがいしたいです。
成宮 朗読をするときに自分の朗読だけでは伝わらないのではと思いました。その言葉とか詩が終着ではなくてその先のことがしたかったので、まず聞いてもらうにはどうしたらいいんだろうと思って、たとえば朗読だけで私が大きい声を出したら、ちょっとうるさいけれど音楽だったら流れていてもそんなに不快にはならないんじゃないかって。BGMにするにはちょっと耳障りだなって可能性もあるかもしれないから、詩という体を利用したように今度は音楽という手段を利用したら、何となく流れているのを耳にするだけでも言葉は残ったりするかなと思います。
加島 音楽の方を先に作られるんですか。
成宮 自分の朗読は言葉が先です。提供するときは曲が先です。
加島 自分の詩を先に作って、それに合う曲を、自分の朗読のときは作ってもらうという感じですか。
成宮 作ってくれる人の曲に合わせて書き直します。それに合わせて書き直したらBGMになって、強い言葉がちょっとごまかされて、音楽として聞いてもらって。たとえばCMの曲って聴こうとしてないのに歌えたりするじゃないですか。そういう風にふと思い出す言葉になれるかもしれない。
加島 学生の一人が、寝るときに成宮さんの朗読をかけていて、いつの間にか寝ているからYouTubeにあがっている成宮さんの朗読の100回くらいは俺が回しているって言っていました(笑)。生活のなかのBGMになっていたんだと思います。
質問② 先ほどのお話で詩とは思ってないとおっしゃってましたが、私も成宮さんの詩は独立したジャンルであると感じました。そこで朗読詩と詩をどのように区別して創作しているかお聞きしたいです。またエッセイではダメなのかとも聞いてみたいです。
成宮 エッセイは連載で一時期書いていたことがあって、それは人に話しかけているような気持ちで書いていました。朗読詩は自分が普段思っているけれど会話にするにはちょっとどうかなと思うテーマを詩をお借りして書いています。普通の詩っていうのを私は全然読んでこなかったので、事件のルポだとかノンフィクションとかばかりを読んでいたので、詩っていうものを自分で書こうとして書いてはいないです。
加島 詩だから話題にできることがあるという捉え方ですよね。
成宮 そうですね。コミュニケーションをするにはどうしたらいいのか、会話が下手なのでどうしたらいいのか、瞬発的に発言をできない人はどうしたらいいのか探していたときに、便利なツールに出会えました。
質問③ 生きづらさを感じている人は、自分自身に手一杯で他者への興味関心が薄い傾向があると個人的には感じており、私自身もそうなので、成宮さんの人の人生を知るのが好きという話がすごく新鮮で驚きでした。生きづらさに手一杯で周囲に気を向ける余地がないといったことは成宮さんにもあるのでしょうか。あるのならばどうやってそれを乗り越えていらっしゃるのでしょうか。
成宮 鬱で寝込んでいるときに選挙はいけないって話に通じるんですけれど、自分が一番苦しいときは明日まで時間が流れていくのをどう耐えるかでいっぱいなんですけど、鬱って微妙に気分の変動もあるじゃないですか。ずっと底辺だと思っていたけど、ふと1mmくらいは気持ちがあがって次の段階にいたりして。そうすると、他の人はこの苦しさをどう過ごしているか知りたくなります。でも低いときは無です。虚無です。何もない。他人がいるかどうかもわからない。だから「あなたはこのときどうやり過ごしたの」とか「ちょっと今日は外に出たくないからサボりたいけど、どの言い訳を使う」とかで、人にすごく共感したい。……共感してほしいよりも人に共感したいような気がします。わかるって思いたいんだと思います。
加島 それはなぜなんでしょう。
成宮 自分で自分を信じてないので。私は絶対運転免許取らないと決めてるんです。なぜなら自分の運転なんて信じられない。人の車に乗るのは全然なんてことない。だから人が言ってることに「わかる~!」って思うと私だけじゃないなと思える。
加島 自分が信じられないから、人を介しているということなんですね。私は虚無がこないように予定を詰め込んでいるから、予定がない日があると虚無になるんですよ。ずっと寝てるんです。動けない………という状態がつづいて。でも授業があると絶対に起きるんです。絶対に休まない。だから自分が絶対に休まない自信があまりにもあるので、そこだけは自信があるので、絶対にそこで上がるんです。教室に入るまでは元気のない感じでとぼとぼとやってくるんですけど、教室に入るとモードが切り替わるんです。だから鶴瓶師匠が羨ましくてしょうがない。ずっと同じじゃないですか。どうやったらそんな風に生きられるんだろうと思って。
成宮 授業があるからって無理するとガクッとこないんですか。
加島 きます、きます。終わった瞬間、家に帰ってバタッと倒れて数時間寝ています。ナインティナインの岡村さんが一時期休んだじゃないですか。芸能界のお仕事を一時期やめて。彼もカメラの前でスイッチを入れるタイプだと思うので、私もいずれそうなるのかな……というおびえは抱えて生きているんですけれど。成宮さんはスイッチが入る瞬間ってありますか。
成宮 本当に自分ではどうしようもないので、ただひたすら無で耐える。時間が過ぎるのを待つ。
加島 私はなぜスイッチが入れられるのかわからないんですけど、絶対に入っちゃう。絶対に予定に穴を空けない。そのために私は健常者っぽく見えているんだと思うので、それはそれで多分しんどさになってるんだろうなと思うんです。私から言わないと、鬱病には見えないんです、たぶん。それが幸か不幸かよくわからないですけど、それができるから大学の教員っていう仕事はやれている。授業に私が来なかったら困りますもんね(笑)ちゃんと、ちゃんと来るんですよ。

質問④大学の中でなかなか友達ができません。つながりが弱い大学という環境の中でどう話しかけて、どういう距離感で関われば良いのかわかりません。面倒な事に人と関わるのが苦手だけど好きです。自分から話すことができない人間はリアルでどうつながればよいでしょうか。
成宮 私が教えてほしいです。めちゃくちゃわかります。教えてほしいから、私はずっとSNSから卒業ができないんですよね。
加島 私もSNSを手放せないのは、同じ理由ですね。……あの実は、成宮さんとは今日初対面なんですよ。もちろん私は成宮さんのライブにうかがわせていただいてるので、私は一方的に存じ上げていたのですが、こんなに話すの実は初めてで。ただSNSをずっと拝見していて、「授業で成宮さんの詩を扱いました!」とつぶやいたら、たぶん反応してくださるんじゃないかなと思って。で、反応してくださったので「大学にお招きしたいんですけど……」とお願いしたら「ぜひぜひ」と言ってくださるんじゃないかなと思って…
成宮 まんまと来ました(笑)
加島 (笑)だからSNSも使いかたによってはつながれるツールになると思うんです。
成宮 そうですね。その使い方だとしたら、さっき話したような自分と同じ寝れない人を自分の身近なところで探すのはよくしました。自分と似た人がどこにいるんだろうと。
加島 昔はmixiがあったじゃないですか。いまもありますけど、mixiが全盛だったとき。mixiにはコミュニティがいっぱいあるので、そこのコミュニティに入って何かを書いたら、誰かが同じ目線で返信を書いてくれるということがよくあって。それはXはでなかなか起こらないですし、facebookではおじさんがマウント取ってアドバイスにもならないコメントをしてくることが多いので(笑)やっぱり上手くいかない。mixiがあったころがよかったなと思うんです。それで同じ大学の人が「同じ大学です」って書いてくれて、趣味も書いてあって、「あ、これ、私も好きなんです」ってやりとりして、「じゃあ明日どこどこ教室で会いましょう」というのが私のときはできたんです。それでまず友だちを作って、その友達からまた友だちを作っていって……というふうにひとり友だちができるという最初のきっかけにSNSが使えたんです。いまはそれがやりにくいかなと思うんです。
成宮 もしわかりやすい趣味があったら、まわりにアピールできるような大きさのアイテムとかをカバンにつけておきます。私の場合はわかりやすく推し色のチェキのフォルダーにチェキを入れてカバンにつけてたら別のイベントに行く時に「誰々さんのオタクですか」って言われて、「そうです」って言って友達になったことがあります。自分からは無理なので、話しかけてもらえるようなわかりやすいものを身につけたりはします。
加島 わかります。私もパソコンに「反原発」ってステッカーを貼ってたら……(笑)
成宮 結構話しかけてもらえますよね。もしご趣味があったら、でかでかと出してみるのもいいかもしれないですね。
質問⑤ 環境や生きづらさは人によって違うと思うので、生きづらさを人と共有する時どういうふうに共感しますか。
成宮 共感するっていうだけでまず第一関門クリアしてるじゃないですか、すでに。大まかなテーマであってもそこから共感して話しはじめるとわかり合えることが多くて……伝わりますか。
加島 わかります。それぞれによって細かには違うんだけれども、伝わり合うことはたくさんある。
成宮 なぜ生きづらくなったのかの理由は違っても、でもいま困っていること自体は一緒だったりする。なのでそこの共有さえできていれば、別に理由が同じ人を探したいわけではなくて。
加島 今日すごく楽しくお話をさせていただいていて、イベントが始まる前にもすでに2時間打ち合わせと称してお話をさせていただいて、まだ楽しくしゃべらせてもらっているというのは、置かれた状況は違いますし、生きづらさが生じた理由も違うし、いま直面してることも違うけど、「わかります、わかります」ってずっと話すことができることの証左だと思うんです。だから生きづらさの共有というのは、ものすごく人とつながれるんですね。普段口に出すことができないテーマなので、よりつながっていける。私の前職は高専だったんですけれど、生きづらい学生は私のところに来るんです。「わかるよ」しか言えないし、解決しないんですけど、でもわかるし、学生は私のところに来てくれる。年代・性別を越えて生きづらさはわかります(笑)

質問⑥ 心の健康と身体との健康をわけることってできると思いますか
成宮 私はできないと思うんですけれど、どうでしょうか。寝れない日の翌日にいくら楽しい予定があろうと、寝れない体、寝れなかった日の体だし、逆に体がすごい健やかで12時間寝ても、すごい嫌いな人と会う予定だったら足取り重いじゃないですか。
加島 重いです!気の向かない学会(笑)うわぁ行きたくないけど、予定が空いてたら行った方がいいよなあ……という日には私、なぜか絶対仕事が入るんです(笑)。ああ!仕事入ったあ!行けない堂々と!と(笑)だから縁というか、なるようになっていくのかなと思うようにはしています。
成宮 心と体の健康具合絶対イコールだから。
加島 イコールですよね。心が病んでて、体がピンピンしてるってたぶんない。でも私が大学生だったときはひとりでお酒を飲んでも飲んでも、どんどんどんどん頭が冴えていったんです。心はしんどかったんだけど、体は元気なので、しんどいのルートがはじまってなかなか終わらなかったのかなといま考えると思うんです。体力はあるけれど心がしんどい状態で、ずっと「俺は何者なんだ何者なんだ」って悩んでぐるぐるぐるぐるしてたんだと思うんですけれど。年を取ってきて、いやいまでも若いですけれど、仕事をはじめると体力が落ちてくるので、悩む元気がなくなってきたんです。むしろ楽になって、全然悩まなくなって。「俺は何者なんだ」って悩む前にとりあえず明日の授業の準備をしなきゃいけないから。書かなきゃいけないものがあるから、楽になって。だから20代前後の学生さんって体力があるから、悩んでしまうんじゃないのかなって気もするんです。
成宮 何歳になったら楽になるよ、っていうのをその都度信じているのに、毎回裏切られます。何歳になったらマックが美味しくなくなるよって聞きますけど、何歳になってもマックはおいしいままだし、いつまでもくよくよ悩むし、大人になってもメンタルは別に解決しないですね。
加島 もちろん解決はしないんですけど、体力が落ちていままでずっと寝られずにぐるぐるしていたしんどい時間が減ったとか。仕事の要因で何か別の悩みが増えた分、実存に関する悩みが減った感じはあって、実はいまのほうが私はしんどくないんです。「俺は何者なんだ」って悩みに答えはでないけれど、明日の授業は準備すればいい。これで明日90分しゃべれる!と思ったら、私は寝られるようになりました。悩みの多くが手を動かせばいいものになったのが、私にとっては少し救いです。
■学生の感想・なぜ創作をはじめたのか
感想① 自己にこもった詩には苦手意識がありそれこそ詩ではないと感じていましたが、個に訴える創作があってもよいのではと詩の認識を改めてみようと思いました。
(創作をはじめた理由)最初は授業で書かなきゃいけなかったからで、最近ではなぜ書いているのかを探すために書いているように思います。自分が詩だと思っているものもあり、自分が詩ではないと思っているものもあるので、その違いを創作を通じて見つけていけたらと思っています。また人と関わりつづけたいと思っており、人との出会いやコミュニケーションが生まれる場が大切だと思っていることもあるのかなと思います。
加島 わかります。私は本を読むのも人としゃべりたいから読んでいたんです。私が文学部の学生だったときはまだ村上春樹が共通言語だったんですよ。『1Q84』が出たのが大学1、2年生のころで、みんな読んでいたんです。だから共通言語があった。それがかろうじてよかったなと思うところなんですけど、今の学生さんをみているとおそらくそれがないと思うんですよね。それは不幸な時代だなと思うんです。私は上の世代がみんな大江健三郎を読んでいるという状況がすごく羨ましくてしょうがない。大江健三郎を読んでいたらコミュニケーションが取れるというのがすごく羨ましい。北村紗衣さんという方が『批評の教室』という本のなかで、批評はコミュニケーションの道具だと、人とコミュニケーションとるために書くんだ、話し合うために書くんだ、っておっしゃっていて、一般的な批評の定義とはおそらく違うと思うんですけれど、私はすごく共感するんです。人と話すとか人と関わるということにおいても、批評も文学も大きな役割を果たせるはずなんです。

感想② 私は最近自分のなかにある闇を愛して抱擁しているのですが、耐えきれず精神崩壊を起こしかけています。ですが成宮さんの曲を聴いて自分勝手に救われました。「愛して抱擁」は救済ではないのだと改めて思いました。
加島 成宮さんの朗読を聞いて救われましたという感想はよくあるんですか。
成宮 救われたという感想には、別にわたしだからじゃなくてそれだけちゃんとありふれたことを書けたんだなって安心できます。
加島 自分の個性が発揮できたんだ、ではなくて。
成宮 「わかるー」がしたかっただけなので、そこに大衆の苦しさを共有できたんだなと思えます。
加島 ワンオブゼムであることを肯定なさいますよね。それも成宮さんの個性だと思うんです。
成宮 だって「ワンオブゼムに成り下がるな」ってなに?と個人的には思っちゃって。オンリーワンも素晴らしいし、ワンオブゼムも素晴らしいじゃないですか。それぞれどっちでも命は全部いいのにと思って、あのときはもう怒りがとまらずに……(笑)
加島 それが素敵だなと思います。
成宮 詩集の帯文を書いてくださったスピッツの草野マサムネさんが前作 (『あなたとわたしのドキュメンタリー』書肆侃侃房、2017年9月)をスピッツさんのファンクラブの会報か何かで紹介してくださったっていうのをライブに来てたお客さんが持ってきて見せてくれて。「えっ!?」ってなるじゃないですか。大衆のトップと思う人が個人の生きづらさに共感をするんだと思って、それでもしかしたら多くの人が本当に同じような気持ちを持っているのではと思って帯文をお願いしたら書いてもらえたんです。

感想③ 詩の創作をはじめたきっかけは歌手になるためでした。歌だけではダメと先生に言われてから、なんとなく詩を書き続けています。でも本当は受験期の勉強が辛すぎてあと東京に行けないことが辛すぎて、逃避行目的で文学をたしなんでいたんです。
成宮 すごくよくわかります。地方出身なので。
加島 成宮さんは新潟、私は広島出身なので非常によくわかります。
成宮 ちっちゃいコミュニティがいっぱいできていて、そこのどこかに属さないとどこにも行けない人になってしまうなかで、私は家族問題がすごくいっぱいあったので心配で家を出られなかったんですよね。自分がいないことでより崩壊に進んでしまうだろうから。地方には文化があると人は言うけれど、やっぱり自分が求めているものとは違うじゃないですか。その現場に実際に自分が行けるかどうかって私にとっては全然違ったので。そこの差がずっと埋められなくて。でも大人になったときに何歳でも引っ越してもいいやと思って、死ぬくらいなら好きなことをしよう、もう知らんってなって引っ越したりしたので、絶対続けていてほしいです。引っ越しても引っ越さなくても、突発的に引っ越すかもしれないし、いつか自分が気が済むときがきて引っ越さないままでもよくなるかもしれないし。どうせ現場に行けないからってやめるじゃなくて、好きなものを大事にしておいたらいつか気がすむ着地点に行けるかなと思います。好きなことを自分以外の理由で諦めないでほしい、私がそうだったから……。
加島 創作表現専攻を卒業するときに「これで私は創作を終えますが」と言う人が多いらしいんですが、そういうことではないと思うんです。今回成宮さんをお呼びしたかったのは、詩壇の中心で活躍していくのが唯一だと思ってる学生が多いと思うので、そうではないと言いたかったというのもあるんです。文芸誌に載るだとか、中央で認められている人と一緒に仕事をするというのが作家の成功例と考えていると思うけれど-私も大学生のときはそう思っていたので-それだけじゃないんだということをわかってほしい。創作したり作りたいという気持ちがあるんだとしたら、そこにずっと向かっていてほしいですし、詩というのはそもそもそれだけでまず食べていけないジャンルですから、ほかのジャンルの先生であればプロとして自活できるのを目指すというのが基本の指導方針としてあるかもしれないけれど、詩歌の担当教員である私はそのことを言いやすい。なので本当に特に詩に関してはやめるんじゃなくて、諦めるんじゃなくて、創作する気持ちを持ち続けてほしいなあと思います。
成宮 詩はいろんなことに形を変えて応用が効くので、作詞提供かもしれないし、プラカードのテキストを書くことかもしれないし、会話になるのかもしれないし、いろんなところで便利に使えると思います。
感想④ 自分は小説を書く理由を考えたとき、楽しいかなって思ってたんですけど、自分の人生単位でなぜかぶつけたことがなく、ちょっと考えたらかなり恐ろしいことが思い浮かんでしまいました。自分が小学生のときはだいぶやんちゃでよく言う問題児でした。誰でも暴力を振る人間だったんです。いま思えばとんでもないやつだったなと思います。親にも申し訳ない。まあそんなことがあったからいま誰とでも仲良くなるような気になった気がするんですけど。そんな自分は小説で戦闘シーンを書きたいんです。血しぶきが飛んでボロボロになるくらいの殺し合いを。それが自分の暴力性の発散。小学生のときにあったものがいままた出てきてしまったのではと思うとかなり恐ろしく思いました。小学生で抑え込めたと思っていた自分の嫌いなところが楽しいということに変換されてしまった。こんなに怖いことはありません。いや前に進めたのかもしれません。
成宮 素敵。「変換されてしまった」っていう言い方がすごい素敵ですね。
加島 暴力性の発散としては、それが多分正しいんだと思います。日常で言えないことを言うのが文学だから。世間に堂々と言えることを文学にするんだったら、それは文学じゃなくてACジャパンのCMで流せばいいわけですよ(笑)文学という形式をわざわざ取るわけですから、日常でやれないことをやればいい。文学では、特定の人物を描いていることが明白であっても、あえてイニシャルにしたり別の名前にしたりすることがあるわけです。要はそのまま出すと問題になるから仮名にするわけですけれど、裏を返せば問題になることを文学は書けるわけです。何の構えもなしに自分の発言として世に出したら炎上するけれど、文学だったら言えるという、そういう形式でもあると思うので、これは正しい文学の使い方のひとつだと思うんです。
あ、最後はこれにしましょう。言葉にすることとは何か。創作をする人に向けて何かアドバイスがあれば教えてください。
成宮 私はいつも申し訳ないという気持ちでいて、朗読するときも時間をもらってしまって申し訳ないと思ってしまうので、アドバイスというのは難しいんですけど……。自分の衝動とか書きたいものがあるうちに、他の理由でやめないでいてほしいなあと思っていて。仕事にできないならやめるというのはちょっと悲しいから、いつか気が済んでしまったときにやめればいい。気が済んでしまわないうちは続けていってほしいって思います。
加島 ちょうどいま、感想がきたのでこれでしめられたらいいなと思うんですが、「イメージなのでご理解いただけなくても全く大丈夫なのですが、成宮さんの朗読を聞いて全く知らない誰かの記憶が頭に入り込んでくるような気分になりました。きっと詩の向こうには誰かがいてその前に成宮さんがいてその周りに受け取る側の我々がいるというか。詩の向こうの誰かの記憶が清流のように鮮明に流れてくるようだと感じました。きっと詩は電波塔のような役割をして成宮さんの気持ちを我々に伝えてくれているのかもしれないと思いました。」いやいやよく書けているじゃないですか。よくわかります。「電波塔のような役割をして」我々に伝えてくれているのかもしれないというのはすごく的を射た表現だと思います。今日は言葉を使うことでやれることがあるんだということを成宮さんが体現してくださったイベントだと思うんです。まだまだ我々は言葉を使ってやれることがあるし、新たにそこを開拓していくということが創作する人間にとっては重要なのだということを示していただいたイベントになったと思います。その新しさであり、我々に対するアドバイスを体全体で示していただいたのだと思います。

■学生からのレポート
朗読詩人・成宮アイコさんをお招きし、朗読と対談によるイベントを開催しました。
当日は『戦わない日のうた』 『伝説にならないで』 『ノンフィクション』 『世界は水面』の四篇が朗読され、その後、本学教員の加島正浩先生との対談と質疑応答が行われました。成宮さんは、詩を書くことを目的とするのではなく、他者とコミュニケーションを取るための「手段」として朗読や詩を用いてきたことをお話ししてくださいました。会話が難しいときに、朗読という形式が自分の言葉を他者へ伝えるための方法であったという話は、表現行為そのものの捉え方について、新たな視点を与えてくれるものでした。
また、成宮さんはSNSについて、情報発信の場であると同時に、孤独を感じる瞬間に「同じ状態の人がいる」と確認できる場として使っていると話されました。詩の中にある「わたしたち」という言葉も、集団を指すものではなく、それぞれ異なる人生を生きながら、同じ時間や感覚を共有している存在としての「わたしたち」を示すものだと説明されました。
本イベントを通して、詩や朗読、SNSといった身近な表現手段が、生きづらさを抱える人同士を緩やかにつなぐ可能性を持ち得るのだと学びました。表現を特別なものとして構えるのではなく、他者と関わるための一つの方法として捉える視点は、今後の創作や言語表現を考えるうえで、視野を広げるものとなりました。 (1年 鈴木・中沢)

